12月7日(土)菊朋会八代支部(松本会長)の研修会に本部から池田会長、山本副会長、前田事務局長の3名が参加しました。
毎年恒例の研修会は、今回も八代市の懐良親王御陵(かねながしんのうごりょう)の清掃と終了後の懇談で懇親を深めることが出来ました。
作業に先立ち、松本会長から催しの趣旨説明や八代菊朋会の概要説明の後、自己紹介と校歌斉唱がありました。
その後、約2時間紅葉真っ盛りの苔むした御陵内の落ち葉や枯れ枝拾いを行い、ピーンと張りつめた神々しい空気に包まれ、身も心も洗われたひと時でした。
懐良親王(かねながしんのう)1329~1383は後醍醐天皇の十六皇子で、南朝の征西将軍宮として康永元年(1342)薩摩に上陸し、その後、南朝方の菊池、阿蘇氏らの助けによって北上し、延文6年(1361)大宰府に征西府を置きました。
一時は全九州を統一するほどの勢いであったが、北朝の鎮西探題今川了俊に次第に圧迫され、応安5年(1372)に大宰府を追われ、菊池に退き永和元年(1375)征西将軍職を良成親王に譲り、筑後矢部に隠退し、弘和3年(1383)この地でなくなったとのことでした。
菊池にも菊池神社の北の丘に、懐良(かねなが)親王と良成(ながなり)親王の居城があったと伝えられ、昭和45年、懐良親王、良成親王をお祀りするため、雲上宮(くものへぐう)が建てられました。
親王の墓は伝説では各地にあったが、明治11年(1873)宮内省の調査で、八代郡宮地村(現八代市)の墓地を親王の墓とし、翌々年八代城本丸跡に親王を祀る八代宮が創立された。
(以上、八代市HPから引用)
親王御陵の清掃には同窓生の他に地元「八代南朝の会(主宰中村重之氏)」や八代高校OB、地元ボランティアの計18名の参加がありました。
約2時間の清掃の後、隣接する懐良親王菩提所の悟真寺(ごしんじ)に場所を移し、昼食を挟みながら地元南朝の会関係者や宮内庁の職員から懐良親王への熱い思いを聞かせてもらいました。
特に、この会に毎年参加されている「宮内庁書陵部桃山陵墓監区懐良親王王墓の守部」(墓守)の松岡長紀氏からは八代の人たちの親王への熱い思いと研究者としての造詣を窺うことが出来、有意義な時間を過ごすことが出来ました。
この懐良親王菩提所の中宮山悟真寺は曹洞宗永平寺の末寺で、肥後守菊池武朝(ひごのかみきくちたけとも)が征西大将軍良成親王の命を受け創建した寺で、懐良親王の御法名「悟真大禅定門(ごしんだいぜんじょうもん)」から寺号を悟真寺とし、元中7年(1390)に現在の御墓前に諸堂が落成したとの事です。
悟真寺は小西氏の時代に破却にあい、加藤氏の時代に現在地に再興されたと伝えられ、境内には親王御真筆の御両親の御霊牌(市指定文化財)を安置する御霊殿があります。毎年参加され、熱心に説明をされた宮内庁の墓守松岡さんの話は興味深いものでした。以上、報告します。
文責:事務局 前田