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文教菊池顕彰会

#その他 ・2026/01/11公開 ・2026/01/11更新

2026年(令和8年)年頭において、令和5年4月に設立された「文教菊池顕彰会」について紹介します。
第1弾はホームページの設立趣意書から「設立提言書」「文教菊池の足跡」「文教菊池のあるべき姿」「文教菊池の再興に向けて」「文教菊池の再興に向けて」を一部抜粋しています。

設立提言書
人間は、文明を発展させ、次代に引き継ぎ、そして残しますが、人間の内なる本質を発展させ、残すことはできません。人はいつの時代にも愚かで、同じ歴史を繰り返します。だから常に教育が求められます。教育こそが自己を支え、家族を支え、地域を支え、そして国家の礎になります。いつの時代にも国家百年の大計は教育にあります。(一部抜粋/原文のまま)

菊池一族

文教菊池の足跡
菊池一族は、学問を奨励してきました。第20代為邦公の時代にこの動きが大きくなり、21代重朝公は、戦国という厳しい時代背景にも拘わらず孔子堂を建て、当時、日本随一の学者である桂庵禅師を招き、また儒学を授け、連歌の会を催したりして文教菊池発展の基礎を作ったと云われます。(一部抜粋/原文のまま)

その後、文教菊池は2百数十年の沈黙を続けましたが、江戸の中期に菊池文教の祖と云われる渋江紫陽が私塾を開き、以後渋江家7代にわたり明治に至るまで約160年もの間、地域の子弟たちに学問を授け文教菊池の振興に努めたことは有名な事柄です。(一部抜粋/原文のまま)

木下韡村は細川藩の藩校「時習館」を中心に活躍し、私塾「木下塾」を開学して時習館に多くの俊秀の士を送り込み、・・・・韡村の子息である木下広次は京都大学初代総長であり、広次の建学理念である「自由の学風」は今も京大教育の理念として継承されています。(一部抜粋/原文のまま)

大正4年、菊池教育団が結成されました。現在は菊池教育会へ名を改め、その活動を進めています。文教菊池は膨大な時間と計り知れない努力の積み重ねにより創りあげられてきました。我々には、この文教菊池を継承、維持していく責任があります。(一部抜粋/原文のまま)

文教菊池のあるべき姿
優秀な頭脳を社会に送り出すことは、教育の最初の目的かもしれませんが、やはり教育の真髄は、己を磨き、周りの人と手を取り合い、その役割がどのような形であれ、世のため人のためになる人材を創ることだと思います。(一部抜粋/原文のまま)

平成元年の菊池市議会で、荒木修市長は、「菊池精神とは、人の人たる気品を堅持し、信義に厚く、清廉なる人格者を理想とし、自らもこれに近づこうとする心であり、更に、自らも邪を憎み、悪にくみせず、恥を知り、物や金によって変節せず、勇気をもって信念に生きる心の様相」を云う、と述べられました。(一部抜粋/原文のまま)

「文教菊池」とは、荒木修先生が説かれる崇高な菊池精神に裏付けされた人間像を作る教育であり、それは菊池市の教育理念に「文武両道・廉恥礼節」として具現化されています。(一部抜粋/原文のまま)

文教菊池の再興に向けて
教育とは、「人生の生き方の種まきをすること」、一言でいえば、人間力を養うことにあります。(一部抜粋/原文のまま)

文教菊池の再興への想い
子供たちは菊池に生まれ育ったことを、いわば通過礼儀的に認識するだけで、そのまま他所に移ってしまい、精神的拠り所を確立することがなくなっていくのではとの危機感を持ちました。そこで、子供たちを中心に、せめて郷土菊池の歴史文化を今一度認識し、そんな菊池に生まれ育ったことをきちんと認識し、世界の何処に居ようと郷土に愛着と誇りを持ってもらいたい。(会長あいさつから一部抜粋/原文のまま)

現職を終えてからでもまた、菊池を終の稜家にしようかと思ってくれているような子供たちを少しでも増やしていきたい。そんな思いからこの会を立ち上げた次第です。節目節目には、人口が2倍、3倍になるようなそんな日常が返ってくることを願います。(会長あいさつから一部抜粋/原文のまま)

文教菊池顕彰会 会長 山本 隆生

文責:事務局長M

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